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関西大学の森貴史教授

 「観光立国」を掲げ、国内外からの観光客の誘致に力を入れている日本政府。国や権力者は長い歴史のなかで、なぜ旅する人々を送り出し、また受け入れてきたのだろうか。著書に「旅行の世界史」がある関西大学の森貴史教授に聞いた。

「三蔵法師」の旅を支援した国々の狙い

 ――人はいつから旅をしてきたのでしょうか。

 「旅が大衆化して多くの人々が旅に出るようになったのは産業革命以降です。移動手段が発達し、鉄道や気船が登場しました。ただ、人と旅との関係はもっと古く、古代までさかのぼります」

 「例えば紀元前4世紀、ギリシャ北部マケドニア王国のアレクサンドロス大王は、ギリシャからインドにいたる10年に及ぶ広大な遠征をしました。その途上でエジプトに建設した都市アレクサンドリアは、多くの商人や知識人が集まり、大きく繁栄していきます。『世界の七不思議』のひとつに数えられた大灯台もあり、古代の観光名所だったとも言えます。旅と街の発展が密接だということがよくわかります」

 ――国や権力者にとって、旅人とはどんな存在だったのでしょうか。

 「いまではインターネットなど情報通信技術が発達して、世界中の情報を簡単に得ることができますが、昔はそうではありません。旅行者の話は、貴重な情報源でした」

 「西遊記の三蔵法師のモデルである中国唐代の僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は7世紀、大乗仏教の原典を求め、陸路でインドに向けて旅をしました。玄奘は通過する国々の権力者に面会し、経済的・人的支援を得ていました。これは、受け入れた国々の側が、玄奘のもたらすものに期待していたことの表れと考えられます」

 ――そうした国々のメリットとは。

 「玄奘は多くの仏典を持ち帰…

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